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京都地方裁判所 昭和53年(ワ)1032号 判決

原告 甲原こと

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 崎間昌一郎

被告 京都府

右代表者知事 林田悠紀夫

右訴訟代理人弁護士 香山仙太郎

右指定代理人 広啓司

〈ほか一名〉

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し二二〇万円及びこれに対する昭和五二年八月五日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  誤認逮捕

(一) 原告は昭和五二年八月四日午前八時一〇分頃、京都市上京区《番地省略》の自宅において京都府警西陣警察署警察官らに逮捕令状により逮捕され、その後西陣警察署に引致され同日午後一〇時頃まで身柄拘束された。

(二) 右逮捕令状の被疑事実の要旨は、

「原告は、

(1) 昭和五二年八月二日午後一一時五分頃普通貨物自動車を運転して京都市上京区堀川通上立売上る芝薬師町六一六番地先堀川通りを北進中、右前方を同じく北進中の水口静栄運転の普通乗用自動車を追い抜こうとした際安全運転義務に違反し自車右後部を前記車左前側面に衝突させて同部分を損壊し(修理見積額五万〇三〇〇円)もって他人に危害を及ぼさないような速度と方法で運転しなかった。

(2) 前記日時場所において前記(1)事実記載のとおり他人の車輛を損壊する交通事故を起したのに直ちにもよりの警察署の警察官に右事故発生の日時場所等法令で定められた事項を報告しなかった。」

というにあり、右(1)が道路交通法一一九条二項、同条一項九号、七〇条に、(2)が同法一一九条一項一〇号、七二条一項に違反するというのであった。

(三) ところで右道交法違反者は原告ではなく原告の営む電機工事店「甲原電機」の従業員である乙山一郎であり、同人が原告の逮捕後の八月四日午後五時すぎ頃出頭しその旨申出たので、原告は漸く同日午後一〇時頃その身柄を釈放された。その後乙山は西陣警察署、京都区検察庁においてそれぞれ任意の取調をうけ、前記(二)記載の犯罪事実で略式起訴され、昭和五三年四月七日京都簡易裁判所において同犯罪事実につき罰金二万円の略式命令を受け右刑は確定している。

2  警察官らの過失

警察官が被疑者につき逮捕状により逮捕しうるためには「被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」及び「逮捕の必要性」が要求されるところ、本件についてはこのような要件が何ら存しないにかかわらず逮捕が強行されその後約一四時間に亘って拘束が継続された。

3  被告京都府の責任

右警察官らは前記のとおり違法な逮捕行為をしたのであり、右所為は被告京都府の公権力の行使にあたる公務員がその職務を行なうにつきなした違法行為であるから、被告京都府は国家賠償法一条一項によって原告の被った損害を賠償する責任がある。

なお、原告は韓国籍の外国人であるが、右韓国と日本の間には国家賠償法六条の定める相互の保証があるときに該当するから同法の定める損害賠償請求権を有する。

4  損害

(一) 慰藉料       二〇〇万円

原告は、本件違法逮捕により朝七時四〇分頃から夜一〇時頃まで身体拘束され多大な精神的苦痛を被り、かつ営業活動も妨害され、さらには右逮捕により著しくその名誉を侵害されたのであり、これらを総合すれば慰藉料として二〇〇万円が相当である。

(二) 弁護士費用      二〇万円

原告は、訴訟代理人に本件訴訟の提起と追行を委任したのであるが、右費用のうち被告において負担させるのが相当な金額は二〇万円である。

5  よって、原告は被告に対し、前記不法行為による損害金として二二〇万円およびこれに対する弁済期の翌日である昭和五二年八月五日から支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  被告の請求原因に対する認否及び主張

(認否)

1 請求原因1の事実は認める。

2 請求原因2のうち、警察官が被疑者につき逮捕状により逮捕しうるためには「被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」及び「逮捕の必要性」が要求されるものであることは認めるも、その余は争う。

3 請求原因3、4、5はいずれも争う。

(主張)

1 原告の逮捕・釈放までの捜査の経緯

(一) 昭和五二年八月二日午後一一時五分頃京都市上京区堀川通上立売上る芝薬師町六一六番地先道路において、京都市上京区上長者町通り葭屋町東入菊屋町五〇六調理師水口静栄(四一才)が、自己の所有する普通乗用自動車(京五六ね七一四七。以下水口車という)を、助手席に同人の従業員柴田ミエ子(三四才)、後部座席左側に同阪本ふみ子(四九才)、同右側に同じく水口の姪田口真理子を同乗させて運転し時速四〇乃至五〇キロメートルの速度で北進中、後方左側から同方向に進行してきた小型貨物自動車(ライトバン。以下加害車という。)によって、水口車の左前フェンダー、同バンパー、同ヘッドライトグリル、フェンダーミラー等を破損される被害を受けたので加害車を追尾のうえ停止させてその運転者との話し合いを求めたが、加害車の運転者は隙を見て逃走した。なおその間、水口車の助手席に乗車していた柴田ミエ子が加害車両番号京四ろ三六九二で車体側面に甲原電機と記載されてあることを確認してメモし、一一〇番通報した。

(二) 右一一〇番通報によって京都府西陣警察署司法警察員巡査部長四方一美外一名の警察官が同日午後一一時一五分頃右現場に到着して捜査に当り、その結果、前記水口静栄及び柴田ミエ子の供述等から加害車の車種、登録車両番号、車体に「甲原電機」の店名が入っていること、人相及び着衣等の特徴を把握した。

(三) そこで右警察官らは同日午後一一時三〇分頃西陣警察署管内の京都市上京区《番地省略》、甲原電機店に赴き同店事務員丙川春子に対し、「グリーン色のライトバンで車体に甲原電機と名の入っている車があるか。」と質問したが、同人は「該当車はない。」旨回答した。また、同時に同店事務所内で浴衣着で飲酒していた原告が応待に出たので同人の承諾を得てガレージ内を調査したが右加害車を発見することができず、同ガレージ内にあった車両の登録番号等をメモしようとしたところ、原告はこれを拒否すると共に「甲原電機は京都に三軒ほどある。当店にはグリーン色のライトバンはない。」旨主張した。

(四) そこで翌八月三日午前七時三〇分頃西陣警察署交通課中原竜雄巡査は本件事件を引継ぎ被害者等が申告した京四ろ三六九二号により照会センターに車籍照会したところ、「同車両は原告の所有車であり、キャブスター、みどり色ボディである。」旨の回答を得た。

(五) そこで右中原巡査は同日午前七時五〇分頃原告に電話で右車両の存在場所、運転者等を照会したところ、原告は「営業の現場が多く従業員も三〇人からおるので事故を起した車がどこにあり誰が乗っていたかもわからない。」旨極めて曖昧な回答をした。そのため右中原巡査は「その車を運転した者を八月五日に車と共に出頭させてもらいたい。」旨告げると共に、同日午前八時一〇分頃その旨を同警察署交通第二係渡辺典夫巡査部長及び交通課長加藤幸夫警部に報告した。

(六) 右加藤警部らはこれまでの経緯から原告の態度に不審を抱き加害車両の隠匿並びに証拠湮滅の偽装工作をおこなっている疑いがあると判断し、原告からくわしい事情聴取と加害車の確認捜査を指示した。

(七) 右指示により同日午前八時二五分頃右中原巡査外一名の警察官が原告方に赴いたが、同警察官らに対応した原告は、「昨夜も遅くパトカーが来た。今朝も早朝から電話があった。パトカーを店の前にとめられるのも迷惑だ帰ってくれ。」と強固な態度で抗議し、右警察官らの事情聴取に応じないばかりか再度のガレージ内確認の申出をも拒否した。

(八) こうしたことから警察署はこのままの状態では加害車の発見が不可能になると判断すると共に原告の全く非協力的な態度の原因について一層疑問を深めた。

そこで、同日午後一時三〇分前記加藤警部は本事件についての捜査報告書、被害者及び参考人の供述調書等を疎明資料として京都地方裁判所裁判官から原告方の捜索差押許可状の発付を受けると共に、原告の右一連の不審な言動は、自ら加害者であるのに従業員が多数いること、及び営業場所が多くあることを奇貨として捜査を阻止しながらその間加害車が水口車と接触した車体上の痕跡を修理偽装して証拠の湮滅を図っているのではないかという嫌疑をもち、同日午後六時頃原告の写真を水口に示して確認したところ同人は「加害車の運転手はこの人に相違ない。」旨供述したので、同日午後八時三〇分京都簡易裁判所裁判官に右供述を前記捜索差押許可状発付のための疎明資料に加えて原告に対する逮捕状の請求を行ない、同日午後九時頃同発付を受け、翌八月四日午前八時一〇分原告宅において原告を前記事実による道路交通法違反事件で逮捕し、同日午前八時四〇分西陣警察署に連行した。

(九) 同署に引致してからの取調べに対し、原告は「誤逮である。逮捕状記載の事実は知らない。」旨申立てるのみで他は黙否の態度をとりつづけた。

原告犯行の裏付け資料を捜査するため、同日午前九時三〇分阪本ふみ子に原告の面通しをさせると共に、捜査員を水口の旅行先である福井県大飯郡高浜町西三松の山本よしお方へ派遣させて再度原告の写真面割を行なった。阪本ふみ子は「加害者より少し肥えているようにも思うが、しかし、背丈や体格の良いところ、顔などは加害者とよく似ている。」旨供述した。

(一〇) 同日午後〇時五八分頃から原告方を捜索したところ、加害車の京四ろ三六九二号に関する自動車税領収書等を差押えたが同加害車を発見できなかったので、原告は同人のガレージ外に隠匿しているものと認めその所在について原告に説明を求めたが回答を拒否された。

(一一) 更に同日午後三時から原告の従業員丙川春子を、また同午後四時から原告と同業者の丁原秋夫を参考人として取調べたところ、「事件当日の午後一一時頃まで原告と丁原秋夫が原告方で飲酒していた。」旨供述すると共に、同日午後六時頃原告従業員戊田夏夫から「真犯人は店の従業員である京都市左京区《番地省略》、乙山一郎(三七才)である。」旨の申告電話が西陣警察署にあった。

(一二) こうしたことから加藤警部は右戊田夏夫を通じて直ちに西陣警察署へ乙山一郎を出頭させるように依頼すると共に、水口に対する写真の再面割り結果の連絡を待った。乙山一郎は同日午後七時頃戊田と共に同署に出頭して来たが、同日午後八時頃「水口への再度の写真面割りの結果甲原が犯人であることに間違いないとのことであった」旨現地派遣の捜査員から連絡があったので、右加藤警部は右乙山一郎の自首が身替り事件の可能性もあると判断し、関係人の取調べを行なうと共に、同日午後九時二五分頃阪本ふみ子に乙山一郎の面通しを行なったところ、同人は「犯人は甲原ではなく乙山である。」旨供述した。同日午後九時頃原告の下請業者丙月冬夫は加害車(京四ろ三六九二)を西陣警察署に持参した。

(一三) 乙山一郎の取調べを行なったところ、本件事故に伴う水口の申告内容と大筋において符合する供述を行なうと共に、このときになってはじめて原告も乙山から交通事故をやったと既に電話で連絡を受けていたと供述した。

こうした経過から同日午後九時三〇分原告を釈放した。

2 逮捕のための相当な嫌疑及び必要性の存在

原告逮捕時点までには次の様な事実が認められたから、原告には本件犯罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があり逮捕の必要性もあった。

(一) 被害者水口等の供述によると、加害者は体格が良くやや丸顔で普通の長髪であって当時酒気を帯びていた様子が窺われ、原告は右特徴に符合するうえ事故当日の昭和五二年八月二日午後一一時三〇分頃酒気を帯びていたこと、

(二) 水口が事故翌日の同月三日午後六時頃の写真面割りにより加害者がこの写真の男(原告)に間違いない旨供述したこと、

(三) 本件事故現場が原告の店の近くであり加害者が事故後細く暗い道を選んで逃走しているところからこの付近に住む土地勘のある者と思われたこと、

(四) 加害車が原告の所有するものであったこと、

(五) 加害車が原告の所有でありかつ同車両には原告の店名が記入されていたにもかかわらず、原告は、事故当日の同月二日午後一一時三〇分頃四方巡査部長らが原告方に赴いた際には同車の所有を否定したり他に同名店がある等述べ、翌同月三日午前七時五〇分頃中原巡査が電話で加害車の所在や加害者名について質問した際には「車がどこにあるかわからない、三〇人もいるし誰が乗っていたかわからない」旨突っぱねて応じず極めて非協力的な態度であり、同日午前八時二五分頃中原巡査らが原告方に赴いた際にも強固な態度で抗議しガレージ内の確認も拒否したこと、

(六) 逮捕直前の同月四日午前八時頃佐田警部補以下六名の警察官が原告方に赴き任意出頭を求めたが原告はこれに応じず、「自分は犯人でない、加害車両の所在も知らない」等述べるのみであったこと。

3 権利の濫用

(一) 原告は、本件事故当日の昭和五二年八月二日午後一一時五五分頃従業員である乙山一郎から同人があて逃げをしたことの電話連絡を受けて右犯罪事実と犯人とを知っていたにもかかわらず、同三日午前七時五〇分頃中原巡査が電話で加害車の所在や加害者名について質問した際には「車がどこにあるかわからない、三〇人もいるし、誰が乗っていたかそんなことはわからない」旨述べたり、同日午前八時二五分頃中原巡査らが原告方に赴いた際にも強固な態度で抗議しガレージ内の確認も拒否し、逮捕後も「被害者と言われる方とお会いし対決します。その被害者と会わないと何を聞かれてもしゃべりません。」と述べるのみで、その後も加害車やその運転手についての質問に対しても「逮捕状とは関係ありませんし私はわかりません。」とか「私の従業員は何人いるかわかりません。運転する者もわかりませんが最近の者は皆が運転すると思います。」等と述べ、更に乙山の住所、氏名、年令をきかれたことに対しても「逮捕状とは関係ありませんのでいいたくありません。」と供述をし、乙山が犯人であることを知っていたにもかかわらず自己の従業員である乙山に道路交通法を遵守させる義務を果たさず、よって乙山をして本件交通事故の警察への届出をさせないばかりか、自ら捜査員の追及を阻止する行動をし、さらに乙山を自己の営業に就労させるなどして犯人の隠避に当った。

(二) 原告が乙山を隠避した目的は次の様な点にあると推察される。即ち、乙山は原告や従業員の丙川春子及び同業者の丁原秋夫らから酒類の提供を受けて酒気帯び運転をした結果本件事故を発生させており、このため原告としても酒類提供に関して原告らに捜査の手がまわることを危惧したこと、水口との関係で民事責任を免れようとしたこと、乙山は原告の営業の総括者であり事故翌日にも仕事の予定があったため乙山が逮捕されることから生じる業務の支障等を考慮したことなどである。

(三) 以上の諸点を考慮すると原告の本件請求は権利の濫用といわなければならない。

三  原告の反論

1  相当な嫌疑の不存在

(一) 被害者水口が供述する加害者像と原告の特徴の不一致

水口の供述調書によると加害者の年令が四五、六才に見えたと述べているが原告は当時五二才であった。原告の顔貌は額が広く頭部まで禿げあがっており髪も多くなく実際の年より若く見えることは通常考えられない。加害者が原告であるとすれば額の広く禿げあがったことを指摘すると思われるのに右調書にはこのような指摘は一切ない。

(二) 水口の面割供述に信用性がないこと

水口の供述調書によれば、原告の二〇年前の写真(昭和三二年三月撮影)を示され「この男に間違いありません。この写真より少し頬に肉のついている程度でこの男です。」と供述している。しかしながら、現時の写真による面割でも必ずしも正確性を期しえないところ、右面割写真として使用されたものが二〇年前の写真でありこの間原告の頭髪、顔面額部分、肉付き等が異なっていること、水口は加害者と初対面で暗くしかも短時間の極めて悪条件下で加害者を目撃したものであること、面割に際しこの一枚の写真だけを示していること、一般に被害者側の述べる写真面割の供述はその心情からしても警察に協力的迎合的となること等の事情を考慮すると、右水口供述の取り方には誤りがあるうえその供述は信用性がないといえる。

(三) 加害者特定の他の方法の不採用

警察官としては、他の目撃者である阪本ふみ子、柴田ミエ子、奥田裕代らに確認するなり、二〇年前の写真に頼らずに直接面割の方法も考慮すべきであったのに原告逮捕前にこれらの捜査を行っていない。

(四) 原告の警察官らに対する言動評価の誤り

(1) 事故当日の昭和五二年八月二日午後一一時三〇分頃四方巡査部長らが原告方を訪れ原告や丙川春子に対して付近で当て逃げ事故があった旨告げたうえ「青い(グリーン色の)バンで甲原電機と書かれた車はありますか。」などと尋ねたがこの時点では未だ乙山からの連絡もなかったこと、原告所有の加害車はグリーン色の小型バス様のものであり原告らは「バス」と呼んでいたこと、警察官らは車両番号を告知していなかったことなどから原告や丙川春子は「そんな車はない。」と否定したのであり、以前同名異店の請求書が原告方に送付されたことがあったため原告は自己のB工場も含めて「甲原電機というのは京都に三軒ほどある。」と答えたにすぎない。又、その際原告は警察官らを素直にガレージに案内している。警察官らが車両の登録番号を控えようとしたのを原告が拒否し叱責したのは原告らを被疑者扱いしたためである。

(2) 事故翌日の同月三日午前七時五〇分頃中原巡査からの電話問合わせに対し原告が加害車の所在も加害者名も知らない旨答えたのは、前夜の乙山からの電話連絡が簡単なものであったため乙山が加害者とは断定できなかったのと、加害車所在については真実を知らなかったためである。なお、この際原告は中原巡査に対して加害車の所在及び加害者の調査報告を約束している。

(3) 同日午前八時二五分頃中原巡査らが原告方に来訪した際原告が怒りガレージ内を見せずに中原巡査らを追い返したのは、当時ガレージ内には加害車がなかったこと、このことは警察官らも道路から確認できていたこと、加害車の所在等の調査報告を約束した直後であったこと、何回もパトカーが店に来るのは営業上も思わしくないと感じたことなどの理由からである。

(五) 原告が加害者ではないと推察される事情の存在

本件加害者は事故当日の同月二日午後一一時一〇分すぎころに逃走したが、警察官が原告方を訪れたのは同日午後一一時三〇分ころであった。もし、原告が加害者であるとするならば二〇分間のうちに加害車を逃走現場から運転してどこかに隠して帰宅し浴衣姿で対応していることになるが、これは時間的に困難である。

(六) 以上のように、原告の警察官らに対する言動を冷静に評価すれば十分に理由のあるものであり、警察官らは原告に警察官らに対する反発行為があったというだけで全く主観的・恣意的に原告が加害者であると疑い、その予断に基づいて信用性のない水口の供述に盲目的に飛びついたもので、原告には証拠資料に裏付けられた客観的・合理的嫌疑はなかった。

2  逮捕の必要性の不存在

本件事故が損害額五万円足らずの物損事故であること、加害車の登録番号が明らかになっていたこと、加害車の所在については原告が調査報告する旨警察官に対して述べていたこと、原告が立派な店舗ビルを所有し幅広く電機工事業を営んでいたことなどの事情に照らし、原告には罪証隠滅及び逃走のおそれはなかったと判断されるから逮捕の必要性はなかった。

3  権利の濫用に対する反論

原告は、事故当日の午後一一時五五分頃乙山から事故を起こした旨の簡単な電話連絡を受けてはいたがその時詳しい状況を聞いていなかったので、後日それを聞いたうえで乙山を出頭させようと考えていたもので、乙山を逃走させたり捜査を妨害しようとの意図を有していたことはない。原告は、使用者の立場から先に警察官に知らせるより乙山を説得し自首出頭させようと思っていたもので、乙山を隠避したことも隠避する意図もなかった。

又、事故当夜乙山は一人で飲酒したもので、原告は乙山に酒類を提供していないし、事故翌日には警察官の電話照会に対して加害車の所有を認めているから民事責任を免れようとしていたこともない。

第三証拠《省略》

理由

一  事実経過

請求原因1の事実(誤認逮捕の事実、被疑事実の要旨、真犯人が原告の従業員である乙山一郎であることなど)は当事者間に争いがなく、この事実と《証拠省略》を総合すると、以下の事実が認められる。

1  事故発生から原告逮捕に至るまでの捜査の経緯

(一)  昭和五二年八月二日午後一一時五分頃京都市上京区堀川通上立売上る芝薬師町六一六番地先道路において小料理屋経営調理師の水口静栄(当時四一才)が自己の所有する普通乗用自動車(水口車という。)を助手席に従業員の柴田ミエ子(当時三四才)後部座席に従業員阪本ふみ子(当時四九才)及び水口の姪田口真理子(当時小学校四年生)を同乗させて運転し時速四〇ないし五〇キロメートルで堀川通を北進中、同車後方左側から同方向に進行してきた小型貨物自動車(加害車という)が急に水口車に接近接触して衝撃を与えながら追い抜いてゆき、その際水口車の左前フェンダー・バンパー等に修理費約五万円を要する損害を与えた。加害車は速度を落すことなく北方に走行した後東方に右折し更に北方に左折するなど比較的細い道を選んでジグザグに逃走する気配が窺われた。水口は加害車を追跡し烏丸鞍馬口の交差点手前で赤信号のため停車中のところで追いつき、同所から約一〇〇メートル東方の京都市北区鞍馬口通烏丸東入上御霊上江町二四一の一番地前路上で加害者と話合うこととなった。柴田ミエ子は、追跡していた間に加害車の登録番号「京四ろ三六九?」と同車両後部ガラス窓に記載されていた「甲原電機」という文字をメモし、話合現場から警察に事故の発生を通報した。

加害者は話合現場で接触事実を認め修理を約束しお互いに住所氏名を確認しようとしたが、柴田ミエ子が警察に通報したことを知るやいきなり「そんなんやったらもう帰るで。」と言い残して阪本ふみ子が制止するのを振切って加害車に乗り込み逃走した。加害者が逃走した時刻は同日午後一一時一〇分ころであり右話合現場周囲には門灯、街路灯などがあって至近距離では互に顔の判別ができる程度であった。

(二)  同日午後一一時一五分頃京都府西陣警察署四方一美巡査部長、井上康行巡査の両名が柴田ミエ子の通報により話合現場にパトカーで赴き、水口、柴田、阪本らから、事故状況、話合状況、加害車登録番号が「京四ろ三六九?」であり車体がグリーン色でボディに「甲原電機」と社名を表示したライトバンであることなどを聴取した。

(三)  同日午後一一時三〇分頃四方巡査部長、井上巡査の両名がパトカーで京都市上京区《番地省略》電機工事業店「甲原電機」(経営者原告)入口付近で同店従業員丙川春子に対して「グリーン色のバンで甲原電機と書かれた車はありませんか。」と尋ねたが、同女は「そんな車はない。」と答えたので、さらに応対に出た原告の承諾を得てガレージ内の調査をしたが加害車を発見することができなかった。原告は当時酒気を帯びており、右警察官らの「甲原電機は他にありますか、グリーン色のバンの車はありませんか。」との質問に対し、「甲原電機は京都に三軒程ありますし私方にはグリーン色のバンの車はありません、Bにも工場があります。」と答えたので四方巡査部長らがガレージ内に保管中の車両登録番号をメモしようとしたところ、原告が「そんなこと困る、うちの者を犯罪者扱いしてはかなわん、早く帰れ、令状もないやないか。」などと言って拒否したため、やむなく退去した。帰署後四方巡査部長らが職業別電話帳により調査したところ、「甲原電機」は原告方と他にBに一軒との二軒が登載されていた。

(四)  西陣警察署中原竜雄巡査は加害車の車籍照会を行い、同車両が登録番号「京四ろ三六九二」で原告所有、キャブスター、緑色であるとの回答を得たうえで、翌同月三日午前七時五〇分頃原告方に電話し原告に対し、「昨夜お宅名義の京四ろ三六九二が交通事故を起こしたと聞いたのでお尋ねしますがその車は今ありますか。」と質問すると原告は「車は仕事場が五、六か所あるので今どこにあるかわからない、三〇人もいるし誰が乗っていたかわからない。」と回答したため、更に「昨夜運転していた人に車と共に八月五日に出頭して欲しい。」旨要請し原告の一応の了解を得た。

(五)  しかしながら、本件事故の捜査主任である西陣警察署交通課長加藤幸夫警部の意向もあって、同日午前八時二五分頃中原巡査外一名の警察官らが再び加害車の所在確認をし原告から詳しい事情聴取をしようとして直接原告に対しガレージ内を確認させるよう求めたが、原告から「昨夜も遅くパトカーが来て今朝も早よから起こしてパトカーを前に止めて置くのも迷惑だ、帰ってくれ。」などと語気強く拒否されたため何らの捜査もできなかった。

(六)  同日午前九時頃西陣警察署佐田健三警部補及び地下勝郎巡査は同署において水口静栄及び柴田ミエ子から事故状況、その後の経過、加害車・加害者の特徴などについて事情聴取をした。水口は、加害者の特徴として「背が高く、体格も良く、丸顔、普通の長髪で乱れている風はなく、顔色は普通、年令は四五、六才に見え、何となく酒が入っている様であった」と述べており、柴田ミエ子によれば、「加害者は背の高い、がっちりした人であったが相手の人相等は明瞭に覚えていない。」ということであった。

(七)  警察官らはこれまでの原告の言動及び水口らの供述などから原告が加害者であって加害車を修理するなどの罪証隠滅工作をするのではないかとの疑いを抱き、原告を暴行罪で検挙した際の昭和三二年七月五日撮影の原告の顔写真を探し出し、西陣警察署後藤世紀巡査が同日午後六時ころ同署において水口に対し右写真が古いものであることを指摘しつつ示して質問したところ同人から「この男に間違いありません。この写真より少し頬に肉のついている程度でこの男です。」との確信的供述を得たため、加藤警部は同日午後八時三〇分頃京都簡易裁判所に対し被疑事実(前記請求原因1(二)と同旨)をまとめて原告の逮捕状を請求し、その頃右裁判所裁判官から逮捕状の発付を受けた。

(八)  昭和五二年八月四日午前八時頃西陣警察署の佐田警部補、渡辺典夫巡査部長ら六人の警察官らは前日発付を受けた逮捕状と捜索差押許可状を携え、加害車及び運転日誌、運転者名簿等の加害車運転者特定のための資料等の捜索差押を第一目的として原告方に赴いたが、原告が玄関先で警察官らに抗議するばかりで捜索差押を円滑に遂行することは困難で原告の任意出頭も望めない状況であったため、原告を逮捕することとし右渡辺巡査部長が原告に対して逮捕状を示した。原告は逮捕状を示された後着換えをしたうえ、警察官らを応接間に入れ同間で警察官らに対して「私は何もしていない、知らない、これは人権蹂躙も甚しい。」などと抗議し弁護士に連絡したが、同日午前八時一〇分頃同所で逮捕され手錠を掛けられることなく西陣警察署に同行させられた。

2  原告逮捕後釈放までの間の捜査の経緯

(一)  原告は西陣警察署に引致された直後頃は「被害者と対決する。被害者と会わないと何をきかれても話さない。」と述べ、次いで「事故当日の八月二日午後一一時五分頃には自宅で同業者の京都府電気工事工業協同組合副理事長丁原秋夫と一緒に夕食をとっていた。」旨アリバイを主張していたが加害車の所在や加害者名などについては明らかにしなかった。

(二)  西陣警察署警察官らは犯人確認のため阪本ふみ子の出頭を求め同女から事情聴取し原告に面通しさせたが同女からは明確な回答を得られなかったので、原告の顔写真をとり福井県大飯郡高浜町に旅行していた水口のもとに田中幸雄巡査を派遣した。又、原告の主張するアリバイの裏付捜査のため丙川春子及び丁原秋夫を取調べ、原告方の捜索差押を実施した。丙川春子は、「原告は事故当日の午後一一時頃まで丁原秋夫と共に飲食していたので原告は絶対に事故を起こしていない。従業員の乙山一郎は事故当日の午後七時半頃原告方から帰った。事故を起こした者は従業員の戊田夏夫か乙山一郎かもしれない。」と話した。

(三)  同日午後六時頃西陣警察署は原告の従業員戊田夏夫から「従業員乙山一郎が加害者である。」との電話連絡があったので同人に対し「乙山一郎を加害車と共に出頭させて欲しい。」旨要請した。乙山一郎は同日午後七時頃西陣警察署に出頭し、「事故前には飲酒していない。原告方から帰宅の途についたのは事故当日の午後七時半頃であり、午後八時頃京都市左京区《番地省略》の自宅に帰りその後午後九時半頃再び加害車を運転して自宅を出た際事故を起こしたと思う。相手方車両に接触したかどうかは余りはっきりしない。」旨の供述をした。

(四)  同日午後八時頃西陣警察署は福井県へ確認のため派遣されていた田中幸雄巡査から「水口は今日撮影した原告の写真を加害者に間違いないと指摘した。」との電話連絡を受けた。この頃になって原告は「事故当日パトカーの警察官が自宅に来た後、乙山から交通事故を起こした旨の電話連絡を受けていた。」旨供述するに至った。

同日午後九時頃原告の下請業者丙月冬夫が加害車を西陣署に運んできた。

(五)  同日午後九時二五分頃阪本ふみ子を乙山一郎に面通しさせたところ、阪本ふみ子は「加害者は今見せて貰った方に間違いありません。原告もよく似ていましたが頬の感じが少し違っていました。今見た人は頬のやせ工合等の感じや顔全体の輪郭そうして目鼻立ちも全くあの時の人(加害者)で自信をもってこの人に違いないと言うことができます。」との供述をした。そこで、西陣警察署は乙山一郎が真犯人に間違いないと判断して同日午後九時三〇分頃原告を釈放した。

3  原告逮捕前に西陣署警察官らに判明していなかった事実

(一)  原告の従業員は昭和五二年八月二日当時乙山一郎(原告営業の総括者、当時三七才)、戊田夏夫(設計等担当)、丙川春子(雑務)など四、五人であり、原告の下請会社は五、六社あってその従業員は三〇ないし五〇人位であった。

乙山は京都市左京区《番地省略》に居住していたが通常朝夕食を原告方でとり原告から家族同様の扱いを受けており連絡用にポケットベルを携帯していた。

(二)  昭和五二年八月二日乙山は仕事を終えて午後八時頃から原告方台所で丙川春夫と共にテレビを見ながらビール大瓶一本、日本酒三勺位を飲み、更に原告方居室で折から原告を訪問していた前記丁原秋夫に勧められてビールをコップで二、三杯飲んだうえ、午後一〇時三〇分頃加害車を運転して原告方を発車し所用で堀川通を南進した後帰宅すべく同通を北進していて本件事故を起こした。

(三)  同日午後一一時五五分頃原告は乙山から「堀川通でちょっとすったような事故を起こし、被害者と話していたが、人が沢山寄って来たので名刺を渡すこともできず帰って来た。詳しくは明日話す。」との電話連絡を受けた。

(四)  事故翌日の同月三日午前八時三〇分すぎ頃乙山は原告方に電話した際丙川春子から「今朝警察が来た。」と聞かされたので「今日は予定が詰って会社に行けないけれど、昨夜一緒に飲んだことはなかったことにしてくれ。用があったらポケットベルで連絡して下さい。」と同女に依頼し、警察に連行されることを恐れて原告方には行かなかった。

(五)  事故翌日の同月三日夜原告は乙山宅に電話連絡しているが、会話内容は明らかでない。

以上の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

二  以上の事実によると、西陣警察署警察官らによる逮捕当時原告を前記被疑事実により逮捕するに相当な嫌疑があったものと認めるのが相当である。すなわち、逮捕当時加害車が原告所有のものであってその管理下にあり原告において当然その所在を知っているものと考えるのが通常であり他に管理者があるとすれば簡単な調査により容易に知りえたものと判断されこれを否定する特別の事情は認められなかったにもかかわらず捜査官のこれらに関する質問に対し嘘を交えた曖昧な返答を繰り返し単に捜査に非協力的な態度を示したというにとどまらず殊更真実を隠そうとする不信な様子が窺えたこと、加害者は事故現場付近に土地勘があるものとみられていたところ原告店舗がその近くであったこと、警察官は加害者逃走の約二〇分後に原告と応対しているのであるが原告に対するそのときの印象と直接加害者と対話している被害者らの述べた加害者の容貌の特徴、年令や酒気を帯びていたことなどの諸点との間に近似性があるものと考えられたこと、このような原告に対する嫌疑の素地があったところに加えて被害者が写真面割の結果加害者は原告に間違いない旨確信的に断言したこと、さらに原告は逮捕時においても自分に嫌疑を掛けられているにもかかわらずただ被疑事実を否定するだけで依然として加害車の所在について明らかにしようとせず警察官に反発するばかりで嫌疑を解くための努力をしなかったことを合せ考えると、昭和五二年八月四日午前八時一〇分頃の原告逮捕当時原告は被疑事実についての重要事実を殊更隠蔽しそのことが他の者を捜査から免れさせようとしているというよりも被疑事実を否定することによって逮捕を免れ証拠を隠そうとしているものと判断されたとしても止むをえなかったと考えられるから、原告を本件被疑事実を犯したものとするについて相当な嫌疑があったと認めるのが相当である。そして、後記のとおり右情況から証拠湮滅を防ぐためにも緊急に処理する必要性があったと考えられるから、捜査初期の段階にある逮捕において要求される嫌疑の程度はこれをもって足りると解するのが相当である。

ところで、西陣警察署警察官らが原告を本件加害者と認める重要な資料となったのは、事故翌日の昭和五二年八月三日午後六時頃の水口の面割供述であるけれども通常面割に当っては捜査官に慎重な配慮が要請されるものであるところ、本件写真面割に使用された写真は他の数枚と共にではなく原告の顔写真一枚だけでありまた本件事故当時から二〇年も以前に撮影されたものであって警察官がこれを示すに当って古いものであると告げているが原告の逮捕当時の写真と対比するとその細部の特徴には同一性を認めることができるものの額の様子が大きく異っておりその年令的印象も異なるからこのような面割写真の示し方は見る者を誤導するおそれもあって必ずしも適切であるとは言えないけれども緊急を要する逮捕段階においてはこのような犯人特定方法も単に口頭で容貌の特徴を聴取するよりはより具体的であるから絶対採用してはならない無価値のものとまでは言えず本件では至近距離で対話した被害者が写真に写っている人物の特徴をとらえてこれを加害者であると確信的に断定したのであり、前記の他の諸情況と総合することによって原告に対する嫌疑の相当性を判断したのであるから、それらの情況の一つを抽出してこれを単独で評価し後日これに誤りがあったからといって適切な資料でないとし逮捕に必要な嫌疑を全体に否定するのは相当でない。

そして、犯人が事故現場から逃走しその直後の話合の場からも逃げており、また原告の前記の様な捜査に極めて非協力な態度からすると、原告が加害車を修理するなどして罪証隠滅をはかるおそれは十分に認められたから逮捕の必要性は認めることができる。原告は、事故翌日の中原巡査からの電話照会の際に加害者及び加害車の所在調査の約束をしていることから逮捕の必要性があったとは認められない旨主張するけれども、《証拠省略》によれば、原告は中原巡査から調査協力を要請されて了解したにすぎないのであって自ら積極的に調査協力を申出たものではなく、又、原告は一応の了解をしながらその直後に中原巡査外一名の警察官が原告方を訪れた際には頭ごなしに中原巡査らを怒鳴りつけ任意捜査を拒否していることが認められ、この事実に照らすと、警察官らがこの状況では最早右調査協力を原告に期待するのは困難でありむしろ加害車を修理するなどの罪証隠滅をはかるおそれがあると判断したのは相当であると認められる。

三  逮捕後の身柄拘束継続の適否

前記一、2認定の事実によると、西陣警察署警察官らは原告を逮捕した昭和五二年八月四日午前八時一〇分頃から釈放した同日午後九時三〇分頃までの間、原告の取調べをする一方、阪本ふみ子の出頭を求めて同女を原告に直接面通しさせ、水口に対する再度の写真面割のため同人の旅行先に捜査官を派遣し、又、原告のアリバイ主張の裏付けのため丙川春子、丁原秋夫らの取調べをし、乙山の出頭後においても同人の供述がいささかあいまいであることや水口に対する写真面割の結果についての捜査官からの連絡によって乙山が身替り犯人とも思われる節が十分窺われたため再度阪本ふみ子の出頭を求めて同女を乙山に直接面通しさせるなどの捜査活動を行っており、右身柄拘束時間はこれらの捜査活動を遂行し原告の嫌疑についての一応の判断を示すために必要なものであったと認められるから、この間の原告の身柄拘束は適法であったと認められる。

四  以上の次第で西陣警察署警察官らによる原告の逮捕とそれに引続く身柄拘束は違法とは認められない。

よって、原告の本訴請求はその余の点について判断するまでもなく理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 吉田秀文 裁判官 村田長生 橋本昇二)

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